ちんもくの日記

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『クレイジージャーニー』 ラマレラ村 鯨漁の回を見て

先日TBS番組『クレイジージャーニー』を見て、あまりの衝撃に眠れなくなった。

鯨漁である。

インドネシアの、バリ島よりも東に位置する島、レンバタ島の「ラマレラ村」において、人間が銛一本で鯨に飛びかかるという、極めて原始的な捕鯨法が今なお執り行われている。その様子を長年にわたって取材し続けているという、石川梵さんが今回の案内人だ。

私自身、鯨に関しては縁もゆかりもまったく無いのだが、旅番組を見るのが好きで、ちょくちょくチャンネルを合わせたりしている。けっこうそういった海外の情報番組は見ている方だと思うのだが、今回の『クレイジージャーニー』は極めて異質だった。

【滞在期間4日。鯨をカメラで捉えられるか】

「そこだ!そこにいるぞ!!」

レダンと呼ばれる船の上から(船といっても、木製の小舟)*1、海面を泳ぐターゲットを探し出し、その方向へと船をこぎ進める。徐々に近づいていき、どうするのかと思えば、舳先から銛を握りしめた男(ラマファという名称がある)が、獲物を目がけて海に飛び込むではないか。船を止め、銛に結んでいた縄を引っ張り上げる。すると、巨大なマンタが姿を現しそれを船員で引っ張り上げる。

「次ぃいい!よぉっしゃ、いたぞーーー!!」
船舵をきり、ターゲットの元へ。舳先から勢いよく身体を投げ出し、銛を打ち込む。縄を引っ張り上げると、先ほどまでのんびり波に身をまかせていたカメさんが、ぐったりした様子で引き上げられる…。

そう、こんな感じでただひたすらに海に出て獲物を探し、それ目がけて飛び込むということをやっているのが、このラマレラ村の漁なのだ。おそらく私が知らないだけであって、こういった方法をとる地域は、昔も存在していたのだろう。でもこれ、鯨が相手となると絶対に一筋縄じゃいかないだろうな。ボディに頭ぶつけたら失神確実だよな…、口元に飛び込んでムシャリと咬まれたりしないのかな*2…。いくつも湧いて起こる疑問と不安が、私をテレビから一時も離さなかった。

 現在までラマレラ村で鯨漁が行われている理由は、標高が低く、また熱帯性であるため、穀物が育ちにくいからだという。捕らえた鯨はもちろん食べるが、近隣の村との物々交換にも利用され、一切れの鯨が山の幸に変換される。海の民と山の民による交易というわけだ。

そのため約2000人の村人のほとんどが鯨の恵みに依存しており、漁に何らかの形で協力することによって、分け前を得ているのだという。
「鯨一頭で、二ヵ月食べていける」という言葉もあるというから、小さな村での生活に与える恩恵はよほど大きいに違いない。そんな村人たちの期待を一身に背負って、男たちは海へと向かうのである。


海岸の様子(『世界でいちばん美しい村』公式サイトより)

しかし石川さんの話によると、「この日はバラエティに富んだ日だったね。でもね」と、やはり文字通り最大の目的である鯨自体はそう簡単に出るものでもないらしく、かなりの忍耐を要するらしい。石川さんの書籍『鯨人』によると、ラマレラ村に通うようになって、初めて鯨に遭遇するまで、なんと4年の月日を要したという。どうやら「ボンがいると鯨が捕れない」という噂までたっていたらしく、本人のストレスは半端ではなかったに違いない。

それが、なんとクレイジージャーニーのスタッフが海に出た初日、鯨が出るのである。
よくわからないが、もし私が石川さんの立場だったなら、番組スタッフをとりあえず小突いてしまいたくなる。「舐めんじゃねぇぞ」と凄みたくなるのが人情というものではないか。それだけ住民にとっても切実な漁であり、生活のすべてがかかっているのだ。

【鯨はテレビを知っていたのか】

遠くで湧き上がる歓声。
スタッフを乗せた船は近くまで行けなかったが、船上から次々と銛が打ち込まれていくのが見てとれる。一艘の船で鯨を仕留めることはむずかしいようで、何艘かが助っ人として駆け付けており、何度も何度も鯨に銛を突き立てる。
どこかで聞いたようなテンションだなと思っていたのだが、あとから考えると、ボクシングの試合で、弱っている相手に痛烈なパンチを見舞う瞬間の、観客の歓声に似ているといえるだろうか。一拍おいて、「ウェーイ!」みたいな。とりあえず皆アドレナリンがだだ洩れていることだけは間違いない。

カメラは一番銛を突いた船内を撮影することは出来なかったが、前掲の書籍に興味深い記述があったので引用させていただく。石川さんが同乗した船が、鯨に出くわした際の様子である。

 若い漁師が私の耳元で囁いた。

「ボン、イカンパウス(マッコウクジラ)」

(中略)

男は囁くように鯨の名を口にした。マトロス*3は鯨を見つけたからと言って決して大声をあげたりしない。若者は私のために「イカンパウス」と口にしたが、本来はそれすら禁忌だ。鯨が出ると、彼らは鯨のことをイカン(魚)としか呼ばない。言葉がなぜか抽象的になり、お互いの名前を呼ぶのもやめる。代わりにバパ(ミスターのような意味)と互いを呼び合う。漁具や船具の名称も変わってしまう。

                ――著 石川梵『鯨人』p170‐171より

 こういったのを読むと、世界はまだまだ知らないことであふれてるなと思う。
そこにどういう空気が張り詰めているのかは、体験した者にしかわからない。
書籍の中ではこの後、船員全員が手を胸に当て、下を向き祈りを捧げ、ようやく捕鯨に取り掛かる。どんなに急を要する時でも祈りを欠かさないというが、はたして彼らは何に対して祈っているのだろうか。浜で収獲を待つ村人たちにか、同じ海に死んでいった漁師たちにか、鯨自身に対してか、それとも神と呼ばれるものへ、か。
儀式に近い形で遂行される漁の、今回の勝者は人間だった。


銛を突く瞬間(『世界でいちばん美しい村』公式サイトより)

 

ところで最近友人と、「言葉だけでは理解に限界がある」という、少し生意気な話題に花を咲かせることがある。スピリチュアルめいているが、ようは簡単で”知識詰め込んではいるけれど、その知識が正しいものなのか懐疑的だ”ということだ。例えばある絵画が描かれた背景を勉強しても、本物の作品の纏う空気感に触れたら感想は絶対に違うだろうし、戦記を読むのと、実際に戦争に駆り出されるのでは確実に感覚が違うだろうという、至極あたりまえの身体論のような話だ。

『鯨人』を読んでいると面白いのが、わかりえるはずもない鯨の性格あるいは気持ちといったものを、ラマレラ村の漁師は理解できているのではないかと思えることだ。現に「鯨は友人だ」とも発言していたし、彼らは鯨に向けて「象牙を生やした水牛(鯨のこと)よ、どうか私たちを村へ連れていっておくれ*4」と唄も歌ったりする。私たちの常識では「鯨は言葉を理解できない」のにだ。
そういった常識を超越し、命がけの鯨漁において身体を通して、”言葉以上の理解を鯨に対してしている”のではないかと思った。その感覚が上記の引用のような、鯨と物、鯨と”私”の関係性に多大に作用しているのように感じられた。

【「理解できる」はおこがましいけれど…】

ラマレラ村の人々の生活は私たちからしたら、辿りつけない感覚に溢れているのだと思う。でもそれはもしかすると、村人たちが鯨に抱く畏怖や誠意、執念、友情、そして良き隣人に対する愛といったものすべてをひっくるめた感覚を、同じように彼らに対して働かせることによって、限りなく近づいていけるのではないか、とも思う。

それは「敬愛」のようでいて違うものだろう。
言葉の柵を越え、体験で知ることで、自分と異なるものへ、本当の意味で近づけるのかもしれない。

 

鯨人 (集英社新書)

鯨人 (集英社新書)

 

himalaya-laprak.com

 

※現在、石川梵さんによるドキュメンタリー映画が公開されている。ラマレラ村の鯨漁を追った映画も製作中らしく、来年秋頃を目途に公開予定だという。

 

*1:「6㎡程の木を軸にし、船首と船尾にあたる木を加工していく。それらを木釘とヤシの皮で固定し、外側にあたる船底の方まで板を足していく」といった簡易的なもの。(書籍『鯨人』より要約) テレビで見たところ、それにモーターエンジンを取り付けていた。

*2:後に書籍『鯨人』で明らかになるのだが、そういった事例もあるらしい。

*3:船員を意味

*4:「鯨はもともと陸で生活しており、牛や馬などと同じ蹄のある動物だった。それが何らかの理由で海に棲むようになり、巨大化して現在の鯨となった。」――同書p188より