ちんもくの日記

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美術館での正しい精神の持ちよう~並ぶのは正解か~

美術館において、作品と真摯に向き合うことは大変です。

というのも、個人的な体験の場であると同時に、一定の公共性の求められる場であるからです。独り言の多い人がいる。隣のおじさんから悪臭がする。こんな人々を目の当たりにして、私も何か迷惑をかけているのではないかと思うと、冷や汗が出てきてしまい、「あぁ、湿度管理に迷惑をかけている…(汗)」と、負の連鎖に陥ること請け合いです。

どういうスタンスが望ましいか?
他者とどのような距離感でいるべきか?

先日ちょうど美術館に行ってきたのですが、今回はそんな「美術館での正しい鑑賞の仕方」について考えていきたいと思います。

 

「あのぉ...早く進んでくれませんか?」的マダム
前回の記事でも触れている通り、ご年配の方々が少々多い印象。まぁ、平日の真昼間だからそりゃそうだよねとは納得しつつも、完全に浮いている私。

「やっべぇ、よりによっていかにも春らしいピンクのシャツ着てきちゃったよ…」。
「しまった、さっきのお釣りがポッケの中でジャラジャラ鳴っている…」。
学芸員に、人間観察されてる気がする…」。

もうこんな自意識が芽生えている時点で、作品に向き合う熱意がいささか懐疑的になってきましたが、まぁそれはさておき、素晴らしい絵を見てまわっていたわけであります。感想としては前回書いた通りで、まぁ真面目な発見はできたかなとは思っているのですが、美術館という空間で、ひとつ気になったことがあるのです。

「みんな…並びすぎじゃないか…?」

いや、もう散々議論されてきているとは思うのですが、このチラチラと刺さるマダムの視線を後ろから感じながら、私もそう思わずにはいられなかったわけで…。まるで夕食の食材を選んでいるかのような、頬にかけての腕の運び。私は彼女の傍らに、買い物かごの幻影を見た気がし、あたかもここはタイムセール中のスーパーかと錯覚したほどです。そうだとしたらと私がまったくどかないのも、非難されてしかるべきだとは思うのですが、いかんせんここは美術館です。

美術の本質は、表現の自由。表現が自由であれば、受け取り方も自由。そして、受け取り方には個人の自由な流儀がある*1。ひとつの絵に取りつかれて見入ってもいい。少し離れて遠くからその絵を眺めてみるでもいい。目を瞑りながら脳をフルに活用し、スピリチュアルな力で作品を感じてもいい。しかし、「はいはい、前の人が進んだからこの絵はさよーなら」的な見方には、疑問を感じずにはいられません。これのどこに美術鑑賞の醍醐味が含まれているのでしょうか。私たちは、安さに釣られて質の悪い『ミカン詰め放題』をしているわけではないのです!作家だって、そんな見られ方は…望んじゃいない……っ!

だからどうしても、あのマダムの視線が許せなかった…。
「あのぉ…早く進んでくれませんか?」的なあの視線が…。


並びから逸脱する者たち
以前、別の美術館で目撃したことがあるのですが、いい年したおじいさんが列から乱れ、なんと絵をほとんど真横から見ていました。絵はエゴン・シーレの人物画。油彩です。
このおじいさんまさか壁から絵を外そうとしているのではないかと、若干不信感を抱いていた私ではありましたが、彼が去った後、同じ見方をしてみるとなんとなくわかったのです。

「塗りつけられた絵の具の、盛り上がり具合を見ていたのかも…」*2

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豊田市美術館にてエゴン・シーレの絵(撮影可)

この絵なのですが、腹の段々や骨のゴツゴツ感など、少し立体感を感じさせる描き方をしているというのが私の印象で、たぶんおじいさんも、腹の段々部分の絵の具の塗り具合が気になったのではないか。どうやったらあの腹の段々感を出せるのだろうという、老人が無垢な少年の心に回帰した瞬間だったのではないだろうか。今となっては真意を確かめることはできませんが、なるほどそういう見方もあるのかと感心した一例でした。あのときの変だったおじいさん、ありがとう。

正しい美術鑑賞の仕方はあるのか
結局どういう鑑賞の仕方が正解なのか。いや、正解なんて作家たちは望んでいるのか。
美術館は公共の空間です。と同時に、すごく個人的な空間だと思います。これは映画館も同じで、「個人と作品が静かに対峙する、貴重な瞬間を提供する公共施設」といえばしっくりくるでしょうか。対峙の仕方は私たち個人に委ねられています。

いい作品に出会ったら、周りが見えないほど没入もするでしょう。
いろんな角度からも見てみたくなるでしょう。
もしかしたら泣いてしまうことだってあるかもしれません。

こういった時に、同じ客であり、趣味を同じくした仲間である私たちはどうすればいいのでしょうか。そこで私は提案したいわけであります。

もうそれぞれが”粋”になるしかないんじゃないか。

「あ、この人今感動している最中だな」と察知したらさりげなく追い越す。
変な角度から絵を見ている人がいたら、勝手にその人をアートとして見つめる。
ひとつの絵の前で涙している人がいたら、グッズ販売所で急いでハンカチ*3を買って、そっと手渡してあげる…。

どうでしょうか。「迷惑かけあっても粋でカバーしていこうよ」というのが私の持論です。
もちろん最低限守らなければならないマナーはあります。大声出してみたり、タバコ吸ったり、女の子のお尻を触ってみたり、絵を触ってみたりなど、とんでもありません。でも、ありもしない「並んで鑑賞」というルールに縛られて、絵を受け流していくことに美術鑑賞の意味はあるのでしょうか。本来、絵は見られるために描かれたのだから、ちゃんと見なくちゃいけない。そして同時に、ちゃんと見ている人もちゃんと見てあげなくてはならない。それが粋な鑑賞だと思うのです。

かなりハードルの高い行為だと思います。
「あ、この人今感動中だ」なんて、回数踏んでなければ、絶対その空気を察知することはできません。でも安心してください。あなたが真っ先に感動してしまえば、周りの玄人たちは、きっとあなたをそっとしておいてくれるでしょう。

並びなんてまやかしです。
美術館に行くような人たちには、確実に粋の精神が潜在しています。
感動を恐れず、美術館に行こう。あなたも私も逸脱者たれ!

*1:最低限のマナーは守りましょう。

*2:もしかしたら別の専門的な見方をしていたのかもしれません。

*3:新品なので吸水性に欠ける場合もあります。